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締切り済みの質問

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』を最初に評価したのは?

エミリー・ブロンテの『嵐が丘』は、現在のような高評価を得るまで時間がかかったそうですが、
最初に高評価されたのはいつ頃ですか?
また、誰が高い評価をし始めましたか?
作品の中のどんな点が再評価されたのでしょうか?

投稿日時 - 2017-02-28 21:21:18

QNo.9299436

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回答(2)

ANo.2

発表当時『嵐が丘』は酷評を浴びたというよりも、肯定否定両面のある批評を受けました。
[ご参考] http://www.wuthering-heights.co.uk/reviews.php

しかし1883年にMary Robinsonがエミリー・ブロンテの伝記を発表したことをきっかけに、、エミリーの評価はシャーロットのそれを凌ぐまでになったと言われています。

そして1926年にCharles Percy Sangerが『嵐が丘』の内容を時系列的に検証し、この小説が入念に着想・構想されていたことを示すと、批評家Mark Schorerは、『嵐が丘』が英文学の中でも最も細心を払って描かれた作品の一つである、と最大級の賛辞を送りました。

この頃になると既に『嵐が丘』の評価は見直され高まっていましたが、それでもなおDavid Cecil卿は1935年に、この作品が過小評価されていると論じました。Cecil卿は、この小説が
宇宙の陰陽の力(cosmic forces、嵐と静けさ)によって纏められている、と考えたのです。実際、かのVirginia Woolfも既にそのことについて言及していました。

つまり、エミリー・ブロンテが描いた世界は、「善 vs 悪」といった道義的に割り切るものではなく、「あるがままの世界」即ち道徳に支配される以前の世界である、という認識をCecil卿は抱いたのです。
ブロンテは「嵐」と「静けさ」がもたらす対立を均衡に導くと共に、「生」と「死」の対立を「永遠の魂」の存在をもって解消したのです。

[ご参考] http://academic.brooklyn.cuny.edu/english/melani/novel_19c/wuthering/critics.html

投稿日時 - 2017-03-01 06:35:21

ANo.1

執筆・投稿が1846年、発表が1847年でその時は酷評された。
1848年に肺結核で没。そのため残した小説は「嵐が丘」のみ
高評価に成るのは、1900年代になってから。。。
映画化は1939年が初

酷評の原因は、語り手が頻繁に変わることと、ミスリードがあること
発表当時の論評では評価されなかったこの点が、後に高評価へ変わった。

投稿日時 - 2017-03-01 00:45:28

お礼

おっしゃっていることは、ウィキペディアその他に書いてあることです。ネットで検索してすぐ分かることは、自分で調べますので教えていただかなくて結構です。
私が調べられないことを知るために質問をしています。
英文学に詳しい方の回答を待っています。

投稿日時 - 2017-03-01 03:29:54