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優しさってなにですか。

長いですけど、誰か教えてほしいです。
私は20歳になる今までずっと優しさってなになのかわからずモヤモヤしてたのでどなたか教えてください。私が今の時点で最終的に行き着いたのが、どんな優しさも「利己」ということです。
私は文字で書けば優しい人間だと思います。人の意見も自分の意見と同じように尊重するし、困っている人がいれば助けますし、自分に悪いことをした人でも寛容に自分の思ってもみない複雑な気持ちからの行動言動だったのかなと許したり、ほんとに怒りません。でもそれは、その人が自分を嫌いにならないようにだし、人に好かれるようにです。そう思ってみたら優しさって自分の利益があったり、自尊心を満たしたりする以外のものってあるのか、と思いまして。もちろんわたしだって一心不乱の優しさを発揮することはあります。全然見知らぬ子供が危ない時、自分の危険を顧みずに助けることだってあります。ある人を守るために自分が嘘をついてわざと悪い奴をひきうける、なんてこともあります。が!その行動言動のほんの一瞬の隙間に無意識にも、この子を助けた自分は賞賛されるだろうか、とか後で感謝されて嬉しい気持ちが味わえるだろうなとかたーぶん自分は考えてるんじゃないかと思います。覚えてませんけど。そうおもったら本当に見事に、いわゆる学校の道徳の時間でならうような美しい「優しさ」ってわたしにはないような気がしてうんざりです。そのうんざりも、そんな美しい「優しさ」という概念を学校や親から植え付けられたから感じるものだと思いますが。家族を守る心もすごくあります!でもそれも自分になくてはならない存在がなくなったとき自分がすごく傷つくから守るのであって、それも全部自分のためかよ!泣っておもいますね笑家族が傷つくのをみたときすごく悲しくなって慰めます。その慰めも傷つくのをみて傷つく自分のためです。
優しさってこれで正解ですか?

投稿日時 - 2017-10-07 00:52:10

QNo.9382938

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回答(5)

ANo.5

こんにちは。

読ませていただきました。

>でもそれは、その人が自分を嫌いにならないようにだし、人に好かれるようにです。そう思ってみたら優しさって自分の利益があったり、自尊心を満たしたりする以外のものってあるのか、と思いまして。

あると思います。

大変でしたね、このように相談の文章をアップするまでに、いろいろあなたは心を悩ましていたのではないかと思います。

>私は文字で書けば優しい人間だと思います。人の意見も自分の意見と同じように尊重するし、困っている人がいれば助けますし、自分に悪いことをした人でも寛容に自分の思ってもみない複雑な気持ちからの行動言動だったのかなと許したり、ほんとに怒りません。

この中から、あなたがお考えになるやさしさの要素を抽出すると、
1.尊重
2.助ける
3.寛容
4.許す

というキーワードが出てきます。

これは一般に優しさを構成する要素としてよく言われるもので、キリスト教的な近代的な優しさ、もう少しいうと、「神の愛」に近いものだと思います。

あなたはこれを前提として以下のような疑問を出していらっしゃるわけです。

>優しさって自分の利益があったり、自尊心を満たしたりする以外のものってあるのか、と思いまして。

私があなたのお書きになったものを読んで思うのは、本当は、こんなことが問題なのではなく、「神の愛」のような優しさが本当のやさしさかどうかということの方がとても問題だと思います。

>いわゆる学校の道徳の時間でならうような美しい「優しさ」ってわたしにはないような気がしてうんざりです。

あなたもこのようにお考えではないですか。

私はあなたがお書きになったものを読んで、あなたは本当に優しい人なんだと思うんですね。

このことは私には疑いようがないです。

それは、あなたは周りの人にすごく関心を向けていらっしゃるということです。

困っている人がいれば、すぐに気が付くでしょうし、躊躇なく助けるでしょうし、相手の意見や行動の背後にある様々な状況や背景について関心を向けて想像を巡らせるでしょうし、そのうえで寛容に接したり、許したりできるのだと思います。

だとすると、1.尊重2.助ける3.寛容4.許すということが可能になる大前提というのは、周囲の人々への関心ではないでしょうか。

あなたはあなたの周りにいる全ての人の幸せを願っていると思いますし、祈っていると思いますし、このために自分は何ができるかということをしっかりお考えになっていると思います。

だから周囲のすべての人に対して関心をもって配慮できるのだと思います。

これを哲学の用語では配視(関心をもって目を配る)といいます。

ここまで書いてきて私も思うのですが、日本語の表現で気くばり心くばりができる人を立派な人のように言うのは理にかなったことだと思います。

やさしさという言葉は、どこか西洋的でキリスト教のような深い宗教的理解がないと本当に心の中になじまない言葉だと思うのですね。

日本の教育にはこれが欠けているので、あなたもうんざりしてしまったのでしょう。

日本人には和の心といいますか、和食が口に合うように、やさしさという言葉より、気くばり心くばりの方がしっくりくるのではないでしょうか。

少しまとめますと、

やさしさの背後にある大前提は周囲全ての人への関心であり、これに基づく配慮としての配視という行動であって、これは日本人の気くばり心くばりに通じるもの。

これがあなたが本当に胸の中に抱えている本来のやさしさの姿だと思います。

あなたはとても大切に育てられたのかもしれません。

ここまでしっかりとしたテーマに取り組んでいるあなたの姿にとても感銘しました。

きっとあなたは親御さんや周囲の人から、いわゆる愛情をいっぱいに受けて育ったのではないでしょうか。

あなたの胸の中にはこれまで受け取った愛情がいっぱい詰まっていてはち切れそうなんだと思います。

そして、大人へと成長していく過程で、はちきれんばかりの愛情が行き場を求めて、あなたの心を悩ませているのかもしれません。

こういうのを順送りといいます。

どうぞ周囲の人たちに、存分にこの愛情を順送りしてください。

応援してます。

投稿日時 - 2017-10-17 18:49:36

お礼

回答を有難うございます。
上手く言葉として表現できなかった優しさのあり方、すごく腑に落ちました。はい、私はこれ以上ないというほど愛を受けました。私ができるかぎりの形でみんなにお返ししたいと思います。

投稿日時 - 2017-10-17 20:53:27

ANo.4

言いたいことも解るし、私も同じ感覚ですが、
別にそれでいいと思ってる。
そういう思考に至った時点で、真性の優しさを持つ人間にはなれない。

利己的でいいじゃん。自分の人生、自分の利を求めて当然。
周りに演じた優しさで優しいと勘違いされるのは、
お互いマイナスにはならないですよ。
迷惑かけてないし、後は開き直ればいいだけ。

自分のことを優しいとか言ってる人はバカジャネーノと思うけどね。
お前ごときが優しさを語るな、と。
自分で言うな、と。

投稿日時 - 2017-10-07 10:43:40

お礼

回答ありがとうございます。そうですね、開き直ります。

投稿日時 - 2017-10-09 01:23:34

ANo.3

あなたの考え方はいわゆる「偽善」でしょうか。
私の考え方は「犠牲」です。
自分が満足の状態で相手を思いやることは、誰にでもできます。
しかし、窮地に陥っていても相手を思いやることができるのが、本当の優しさだと思うからです。
でもあなたの今の振る舞いで、良いと思いますよ。

投稿日時 - 2017-10-07 07:00:01

お礼

回答ありがとうございます。そうですよね、余裕がない時こそ本当に優しい人間か寛大な人間であるか試されますね。

投稿日時 - 2017-10-10 20:52:06

ANo.2

「利己」と言えば,そうだと思います。でも人はそれを「選択」と呼びます。
川で小さい息子が溺れている,自分は泳げないけどどうしよう
そこに選択があります。このまま大声で助けを呼んでみよう。でも周りに自分より近くにいない。子供が酸欠になれば脳に障害がでるかもしれない。
そんな子供のかわいそうなところを見てられない,ましてや子供がいない家庭など俺は考えたくもない。じゃあ俺がいく。俺が死んだら?でもそのとき子供がいない家庭はみなくてすむし,すくなくとも子供はお父さんが近くに来てくれれば少しだけ安心するよね。
これは利己ですよね。でもまわりの人はそれを父親の愛と呼ぶでしょう。
息子はお父さんの勇気と愛情を一生忘れないでしょう。
それが普通なんじゃないですか?ぎりぎりの選択になったとき,何かの基準がなければ自分は選択できないですよね。選択があるかぎり,そこにはどちら向きに進んでも自分のなかでの意思があり,それは外からどうみても自分なかでは「利己的な」選択であるはずです。
その利己的な選択が,周りの人を幸せにできるように,人間はずっと学び続けなくてはいけません。守るべき人の為に,守られるひとのために,少しでもただしい選択ができるために,多くの事を学び,後悔しない選択ができるようにするのだと思いますよ。

そうゆう意味であなたはまちがっていません。

投稿日時 - 2017-10-07 01:19:43

お礼

回答をありがとうございます。自分では湧き出なかった言葉を教えてくださり感謝します。とても爽快なきもちになりました。

投稿日時 - 2017-10-07 01:40:25

ANo.1

たぶん不正解だろうね。
後付される理由とか、考える時点でズレている気がします。
利己的であったりすることとは別。
また、自分のためであるという結論はまあ分かる。だけどそれはレッテル貼りでしかないと思います。優しい自分を演じているだけ。心の底から利害関係なく、本心で湧き出るモノが、そうであって欲しいと思います。
結局は自己満足なのは、それはそうだとしか言えないでしょうね。
本当の優しさとは労り労い、そして真実から目を背けること無く向き合う、そうできるように行動することじゃないかな?と、考えています。
私は貴方の年代の時にはこの様な事は考えた事はありませんでした。
あって当たり前な事は敢えて考えて行動する事が無かったからです。
本当の優しさとは敢えて突き放す様な事も含まれると思いますし。
獅子が子を谷底に落とすような、あれです。
優しさを持つ自分に酔っている間は、本当の意味で優しいひととは言えないかな、とも思います。
あくまでも、私の個人的見解です。

投稿日時 - 2017-10-07 01:15:49

お礼

回答をありがとうございます。そうなのです、私は後付けしています。優しさを演じる自分がいるのが悩みです。私はその本当の意味での優しさを知りたいです。それをもう自分がもっているのに敢えて後付けで利己というレッテルを貼っているのかということも疑いましたが、どちらにしろ私はまだ「優しさ」の極致には達していません。

投稿日時 - 2017-10-07 01:51:07